「 2017年06月 」一覧

古き良き時代を思い出して

私は幼い頃からよく祖父母の家に行くたびに近所の銭湯へ通っていました。
祖父母の家から徒歩5分ほどの場所で洗面具と着替えを抱えて(時に袋に詰めた物を下げて)、時に祖父、時に祖母という感じで兄弟と一緒に行きました。
当時はまだ中学にも挙がっていなかったので私たち兄弟は大体200円くらいで祖父母がもう少し高いくらいので入浴できました(今より安いんですよ)。
その銭湯の経営者の方が祖父母の知り合いの方で近所なので、最初はその付き合いから。
以降は気心が知れているからという事もあり通うようになりました。

そういう事もあり、ついくつろぎすぎてうっかりしてしまう事もあり、たまにやりすぎて恥ずかしい思いをすることもありました。
例を挙げるとしたら、番頭台に座る銭湯経営者の奥さん(旦那さんはあまりここには座らない)と話をしながら風呂上がりの牛乳などを飲んでいた時”ここの飲み物はそんなに珍しい物ではないでしょうに、いつも飲んでくれてるけど飽きないの?”と言われてそんな事はないと何杯も飲み、その後トイレに駆け込んでしまうといった事もありました。
ただ、親しい彼らに本当に言われたような飽きるといった事がないと伝えたかっただけだったのですが周りには爆笑され、少し恥ずかしかったですね。
他にもなじみすぎてダランとしていたら、あまり顔を合わせない様な団体客に出くわして慌てて姿勢を正したりと、自宅ではないのだからと祖母にも笑われたりもしました。
いくら近所でなじみの店でも銭湯は公共の場ですから、気を付けないといけないと思ったものです。
それでも自宅とは違う広い湯船という物には言いようのない開放感を覚えてしあうものでつい浮かんでみたり、泳ぎのまねごとをしてはこずかれ、爆笑されていた気もしますが、恥ずかしながらも楽しい思い出です。
脱衣所でもたまに籠を間違えて慌てて戻すという事などもありましたが、なぜか番頭さんはにこやかでした。
不思議な感覚だと、今事気に考えると思ったものです。

面白い事もありました。
大半はこちらの様な気もしますが、自宅以外のお風呂に入るという体験その物がなぜか面白い時間でした。
広い湯船は深さもあり、半ば温水プールにでも来ているのかと思いはしゃいぐほどでしたしいくつ積んである風呂桶も自宅にはない物なので新鮮に感じられました。
たくさんのよその人が脱衣所、洗い場、湯船にいて時に”○○切らしてるんだけどある?”みたいな会話を常連さん達はして物を貸したり貸されたり。
私も残りが少なかった石鹸を見た近所の人(時間が同時刻になった)が”困るだろうからこれを使いなさい”と言い貸してくれたりもしました。
いつもそこまでしゃべる人ではない近所の人ですらこうなのだから”これが裸の付き合いか!”なんて言って番頭さんを爆笑させたこともありました。
風呂の中でも色々ありますが、風呂上がりの脱衣所でも色々です。
風呂上がりの飲み物については先ほどの飲みすぎに一件に懲りて自重しましたが、やはり広い脱衣所でのゆったりとした感じはいいものです。
お風呂場でもですが、脱衣所でも時間帯では大勢が1度に体を洗い、1度に服を着て髪を拭き始めるさまは見ていて面白い物でした。
それなのにその中で1人1人の癖があって、本当に何を眺めているんだと言われそうですが改めてみると不思議な光景だったのだと思います。
そして、なぜか(無意識だったので気付いたのは偶然ですが)飲み物を飲む時の姿勢まで同じ一団がいた時には思わず口の中の物を吹き出しそうになりました。
あれが一番面白かったと思います。
同じ理由で訪れた場所で同じような流れを選ぶと事をするのだなと一種の共同体の様だと感じられました。
幼き日に体験した非現実。
今ではもうあまり見ない古き良き時代の非現実は今も懐かしい物です。

 

それで自宅の風呂に入りながら過去のことを思い出して、ふと自分の胸を見ると昔、見たばあちゃんの胸に近い形と色になっていました。
いつの間に!?というのが本当のところです。


うつ病の彼氏と同棲して本気でヤバいと感じた体験談

 

 

この時、病院で提出するべき健康保険証は実家に置いてきたので、私も治療を受けるとなれば、実家に連絡しなくてはいけなかったのです。
保険証がないと治療費はバカにならないし、仕方なく実家に電話して保険証を送ってもらうことにしました。
でも、相変わらず両親は怒っていて、保険証なんか渡さないし、今すぐ帰って来いと叱られました。

 

 

彼のお母さんに相談したら、私がどれだけ負担を背負っていたのかを知って、今後は彼の面倒を自分がみると言いました。
その瞬間、私は初めてプレッシャーから解放され、彼との未来はないと確信できたのです。

 

しばらく様子をみて、彼が落ち着いてきた頃を見計らって、私は何も告げずに彼のもとを去りました。
後のことはすべて、母親であるお母さんに任せ、私は自分の将来のことを考えることに決めたのです。
今思えば、そうやってお母さんが責任をとってくれたので、私は自分のことを考えられる余裕がもてました。
その後は遠く離れた場所へ引越しして、1人暮らしを始め、彼のことを考える時間が少なくなり、新しい彼氏もできました。
暴力に耐えていた時期は地獄のようで、殺されるかもしれないと本気で怖くて、眠れない日も多かったです。
トラウマのようになっていて、新しい彼氏からも暴力をふるわれないか不安になりやすく、その度に彼から受けた暴力の記憶が蘇りました。
でも、彼氏はそんな私の心の闇を癒してくれる人で、人間不信に陥りそうだった私を救ってくれたのです。
むしろ、親に代わって彼の面倒を見てきたことに対して、尊敬するとまで言ってくれました。
それから数年が経ち、すっかり元カレの鬱病のことなど忘れていた時に、元カレのお母さんから連絡がありました。
彼は治療を続けて何とか立ち直り、今では社会復帰もできているという話だったので、本当に良かったなと安心しました。
たぶん、私も彼も大人になりきれていなくて、お互いに精神的に自立できていなかったのでしょう。
たとえ仕事をして生活費を稼いでいても、心の奥深くまで理解しあえる関係ではなく、表面的な恋愛だったのかなと思います。
同棲も結婚も、2人で生活するという点では同じですから、これから恋人と新生活をする予定の人は、私の経験を参考にして幸せになれるように頑張ってください。