古き良き時代を思い出して

私は幼い頃からよく祖父母の家に行くたびに近所の銭湯へ通っていました。
祖父母の家から徒歩5分ほどの場所で洗面具と着替えを抱えて(時に袋に詰めた物を下げて)、時に祖父、時に祖母という感じで兄弟と一緒に行きました。
当時はまだ中学にも挙がっていなかったので私たち兄弟は大体200円くらいで祖父母がもう少し高いくらいので入浴できました(今より安いんですよ)。
その銭湯の経営者の方が祖父母の知り合いの方で近所なので、最初はその付き合いから。
以降は気心が知れているからという事もあり通うようになりました。

そういう事もあり、ついくつろぎすぎてうっかりしてしまう事もあり、たまにやりすぎて恥ずかしい思いをすることもありました。
例を挙げるとしたら、番頭台に座る銭湯経営者の奥さん(旦那さんはあまりここには座らない)と話をしながら風呂上がりの牛乳などを飲んでいた時”ここの飲み物はそんなに珍しい物ではないでしょうに、いつも飲んでくれてるけど飽きないの?”と言われてそんな事はないと何杯も飲み、その後トイレに駆け込んでしまうといった事もありました。
ただ、親しい彼らに本当に言われたような飽きるといった事がないと伝えたかっただけだったのですが周りには爆笑され、少し恥ずかしかったですね。
他にもなじみすぎてダランとしていたら、あまり顔を合わせない様な団体客に出くわして慌てて姿勢を正したりと、自宅ではないのだからと祖母にも笑われたりもしました。
いくら近所でなじみの店でも銭湯は公共の場ですから、気を付けないといけないと思ったものです。
それでも自宅とは違う広い湯船という物には言いようのない開放感を覚えてしあうものでつい浮かんでみたり、泳ぎのまねごとをしてはこずかれ、爆笑されていた気もしますが、恥ずかしながらも楽しい思い出です。
脱衣所でもたまに籠を間違えて慌てて戻すという事などもありましたが、なぜか番頭さんはにこやかでした。
不思議な感覚だと、今事気に考えると思ったものです。

面白い事もありました。
大半はこちらの様な気もしますが、自宅以外のお風呂に入るという体験その物がなぜか面白い時間でした。
広い湯船は深さもあり、半ば温水プールにでも来ているのかと思いはしゃいぐほどでしたしいくつ積んである風呂桶も自宅にはない物なので新鮮に感じられました。
たくさんのよその人が脱衣所、洗い場、湯船にいて時に”○○切らしてるんだけどある?”みたいな会話を常連さん達はして物を貸したり貸されたり。
私も残りが少なかった石鹸を見た近所の人(時間が同時刻になった)が”困るだろうからこれを使いなさい”と言い貸してくれたりもしました。
いつもそこまでしゃべる人ではない近所の人ですらこうなのだから”これが裸の付き合いか!”なんて言って番頭さんを爆笑させたこともありました。
風呂の中でも色々ありますが、風呂上がりの脱衣所でも色々です。
風呂上がりの飲み物については先ほどの飲みすぎに一件に懲りて自重しましたが、やはり広い脱衣所でのゆったりとした感じはいいものです。
お風呂場でもですが、脱衣所でも時間帯では大勢が1度に体を洗い、1度に服を着て髪を拭き始めるさまは見ていて面白い物でした。
それなのにその中で1人1人の癖があって、本当に何を眺めているんだと言われそうですが改めてみると不思議な光景だったのだと思います。
そして、なぜか(無意識だったので気付いたのは偶然ですが)飲み物を飲む時の姿勢まで同じ一団がいた時には思わず口の中の物を吹き出しそうになりました。
あれが一番面白かったと思います。
同じ理由で訪れた場所で同じような流れを選ぶと事をするのだなと一種の共同体の様だと感じられました。
幼き日に体験した非現実。
今ではもうあまり見ない古き良き時代の非現実は今も懐かしい物です。

それで自宅の風呂に入りながら過去のことを思い出して、ふと自分の胸を見ると昔、見たばあちゃんの胸に近い形と色になっていました。
いつの間に!?というのが本当のところです。

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